一身独立

多動性を発揮し、「21世紀の百姓」を目指す27歳元エリートのブログ。

【ディスカッション・ペーパー】「貧困に苦しむ自国民を、貧困に苦しむグローバル貧困層より無条件で優先して助けることは不正なのか」


 同胞である日本人ではなく外国人を助ける仕事を選んだ人たちがいる。彼らの話を聞く中で、次の命題に対する疑問が生まれた。その命題とは「貧困に苦しむ自国民を、貧困に苦しむグローバル貧困層より無条件で優先して助けることは不正である」というものである。開発援助の仕事に携わっている人に対する批判として「日本人(自国民)にも困っている人がいるのに、なぜ外国人を助けるのか」というものがある。そのような批判をする人は、「外国人よりも自国民を優先して助けるべき」だという命題が正しいことを前提にしている。本記事では、このような意見の問題点を指摘し「貧困に苦しむ自国民を、グローバル貧困層より無条件で優先して助けることは不正である」という命題を論証し、グローバル貧困層を低コストで助ける提案について紹介したい。

 「外国人よりも自国民を優先して助けるべき」という命題には、自国民を助けることで生まれる価値と外国人を助けることで生まれる価値が何らかの形で比較可能であり、なおかつ自国民を助けることで生まれる価値を優先して生むべきであるという前提が含まれている。しかしいずれの前提も誤りを含んでいないのだろうか? 自国民を助けることで生まれる価値と外国人を助けることで生まれる価値は比較可能だろうか? そこには狭隘なナショナリズムが含まれていないだろうか。人権は本来普遍的なものであり、誰かが不正義によって苦しめられているのを放置することは、他の誰かを助けることによって正当化されるべきではない。

 貧困に苦しむ人を助ける、と言うのは異論の挟む余地のない善に属する行動であり、正義に適った行動である。しかしその対象を巡っては、政治哲学の世界で長く議論が戦わされてきた。例えば哲学者のトマス・ポッゲは「グローバルな場においても、個々の共同体を越えて人類の一員としての権利義務関係が成立しうると考える(小川, 2010, pp183)」立場を取る。このような立場は「普遍的リベラリズム」あるいは「コスモポリタンリベラリズム」と呼ばれる。対して「リベラル・ナショナリズム」と呼ばれる立場の人たちは、「グローバル社会には国家のようなデモクラシーの制度が欠けており、そこに普遍的な正義を求めることはできないと主張(引用元同上)」する。さらにコミュニタリアンと呼ばれる人たちは、「文化や伝統を共有する共同体を越えて、何らかの道徳的義務が発生することは当然ない(引用元同上)」と考える。このように国境を越えて個人間に道徳的義務が発生するか否かについては、意見の隔たりがあるのである。

 リベラル・コミュニタリアン論争と呼ばれる以上の議論に引きつけて考えると、私の立場は「普遍的リベラリズム」あるいは「コスモポリタンリベラリズム」であると言える。繰り返しになるが、この立場は国境を越えて個人間に権利義務関係が生ずると考える立場である。ポッゲは先進国民が果たすべき義務について以下のように述べている。


(筆者注:国境を越えた)共通の諸制度が現に存在しておりまたそれがいかに影響力の強いものであるかは、我々(筆者注:富裕な先進国民)が投資・ローン・貿易・賄賂・軍事援助・買春旅行・文化輸出・その他多くを通じてグローバル貧困層の境遇にどれだけ劇的な影響を与えているかによって示される。彼らの生存そのものが、往々にして、我々の消費選択に決定的に依存しているのであり、その選択は彼らの食料品の価格や彼らが職を見つける機会を決定する可能性がある。(中略)(筆者注:富裕な先進国民は)国際的な相互作用を形成する諸ルールが極端な貧困の発生にどれほど予見可能なかたちで影響を与えているかに関心を持たねばならない。すでに発展を遂げている国々は、そのはるかに優位な軍事的および経済的な強さのおかげで、これら諸ルールをコントロールしているのであり、それゆえ、その予測可能な影響に対して責任を共有しているのである。
(ポッゲ, 2010, pp307)


 このように彼は貧困という不正義が生まれる原因を、先進国が形成してきた「国際的な相互作用を形成する諸ルール」に求めている。そしてその不正義を生み出す諸ルールに異議を唱えず「高圧的に持続(同上、pp306)」させている先進国民は、消極的義務に反していると彼は述べている。

 それでは「世界の貧困を緩和する緊要な道徳的理由(ポッゲ, 2010, pp312)」を持つ我々富裕な先進国民は消極的義務を果たすために何をすれば良いだろうか? その点についても彼は提案を準備している。「グローバルな資源の配当」と呼ばれるその基金は、グローバル生産の1.13%を拠出するだけで、30億8500万人の人々が深刻な貧困から抜け出せるという。ポッゲの試算によれば、バレルあたり3ドルの拠出と設定すれば、ガロンあたり7セントの石油製品の値上がりを受け入れるだけで上記の配当の30%を満たせるという。

 このような上手い方法がなぜ実行に移されないのだろうか。ポッゲ本人も集合行為問題にぶつかることは認めているし、世界政府のない現状において国際公共財的な性格を持つものは実行に移すのは難しい。


【参考文献】
小川仁志(2010)『はじめての政治哲学――「正しさ」をめぐる23の問い』講談社現代新書2084
押村高(2008)『国際正義の論理』講談社現代新書1961
トマス・ポッゲ著、立岩真也監訳(2010)『なぜ遠くの貧しい人への義務があるのか――世界的貧困と人権』生活書院

国際正義の論理 (講談社現代新書)

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なぜ遠くの貧しい人への義務があるのか―世界的貧困と人権

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